黒柳徹子は若い頃からおしゃれ!女優としての出演ドラマも紹介!

黒柳徹子 昔の画像 テレビ・映画

黒柳徹子 昔の画像

引用:AERAdot.

皆様は黒柳徹子さんをご存知でしょうか?

逆に、知らない人はいないのではないでしょうか。

老若男女問わず彼女の名前は知られているように思います。

なかなかそういう方は少ないですよね。

それほど、彼女の魅力、活動範囲は幅広いと言えます。

今回は、そんな黒柳徹子さんについて書いていきたいと思います。

この記事に書かれていること
  • 黒柳徹子プロフィール
  • 黒柳徹子伝説の数々
  • たまねぎ頭はいつからしているの?
  • インスタグラムよりおしゃれな写真の数々を紹介!

 

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黒柳徹子プロフィール

では早速、黒柳徹子さんのプロフィールです。

【名前】黒柳徹子(くろやなぎてつこ)

【生年月日】1933年8月9日(2018年現在85歳)

【家族】父親(ヴァイオリニスト)、母親(エッセイスト)、弟2人、妹1人

【出身地】東京乃木坂

【血液型】A型

【事務所】吉田名保美事務所

【学歴】東京音楽大学声楽科卒業

【経歴】大学を卒業後、NHK放送劇団に入団。その後、

文学座研究所やニューヨークで演劇を学び、テレビや舞台、ラジオで

女優として活躍する。他にも、ユニセフ親善大使も長年務めている。

 

黒柳徹子の出演ドラマ

黒柳徹子さんが女優として出演されていたドラマは次の通りです。

『ヤン坊ニン坊トン坊』(1954年 – 1957年)ラジオドラマ

『チロリン村とくるみの木』(1956年 – 1964年)テレビ人形劇

『ブーフーウー』(1960年 – 1967年)テレビ人形劇

『若い季節』(1961年 – 1964年)テレビドラマ

『夢であいましょう』(1961年 – 1966年)バラエティ番組

『幸せの背くらべ』舞台

『マスタークラス』舞台

『想い出のカルテット〜もう一度唄わせて〜』舞台

まさに活動範囲が幅広くマルチ!

そんな黒柳徹子さん、数々の伝説を持っているようです。

次はそんな伝説について書いていきたいと思います。

黒柳徹子には数々の伝説がある?

黒柳徹子さん。知れば知るほど魅力的なお方です。

エピソードの一つ一つが伝説になるほど強力なインパクトです♪

【伝説1】喋りまくる。

超人気番組だった「笑っていいとも!」で1984年に「テレフォンショッキング」にゲスト出演した時、喋って喋って、なんと43分間、喋り続けたそうです!

そのおかげで、他のコーナーがつぶれたとか!すごいパワーですね。

 

【伝説2】地雷原をおそれない。

とある国で地雷原に飛んで行った子どもたちのボールを、恐れず、平然と取りにいったそうです。そして無事にかえってきたのです。

彼女曰く「死ぬ日は運命で、決まっているからそれまでは何しても死なない」

とのことだそうです。かっこいいです。

 

【伝説3】すごい記憶力。

長寿番組の「世界ふしぎ発見」で今まで出された問題と答えをほとんど覚えているということです。すごい記憶力ですね。

 

【伝説4】紅組で司会した数は最多。

紅白歌合戦の紅組の司会を通算5回しており、これは女性司会者では、最多ということです。これも彼女の魅力がなしえた事なのでしょうね。

そして総合司会も2015年にもしています。

 

【伝説5】パンダが大好き過ぎる。

黒柳徹子さんはロンドンで、はじめてパンダのアンアンを見てから、大好きになったそうで、

まだパンダが知られていなかった日本で、パンダのことを熱弁していたそうです。

そして女性雑誌で有名な「anan」の名づけの由来も、黒柳徹子さんが関係しているとか!

すごい影響力ですね♪

 

【伝説6】ノーブラ。

1971年から、「きついから」「つける必要がないから」と、演劇を学ぶために滞在した、ニューヨークでノーブラで生活していくことを決めたそうです。

確かに、ブラジャーは息苦しくなりますものね。キツさから解放されて、ますますパワーアップされたようです♪

 

【伝説7】小学校を退学。

小学一年生の時、よく喋る、注意力散漫、学習障害など進学校でも浮いた存在だった

黒柳徹子さんは、退学させられ、トモエ学園というところに転校しています。

そこで出会った先生が、黒柳徹子さんの個性を伸ばし、伸び伸びと過ごせたようです。

その時のエピソードが本になり、「窓際のトットちゃん」という名で出版されると、750万部以上売り上げ、世界各国で一大旋風が起きました。子どもの頃から伝説を持っているのですね♪さすがです!

 

【伝説8】食べ物の消化が早い。

人間ドッグで「食べ物の消化が普通の人より4倍早い」ということがわかったそうです。

喋るスピードだけではなく、体まで!!

元気の秘訣なのかもしれませんね♪

 

【伝説9】インスタグラムを83歳からはじめる。

食事の様子を撮ったり、徹子の部屋のゲストさんと撮ったり、おしゃれな小物をとったり、POPでカラフルでオシャレなインスタグラムです♪

80代とは思えない!!

センスもいいし、画像と共にアップするコメントもおもしろいです。

インスタグラムからも魅力があふれでています。

 

【伝説10】髪の毛の中に飴玉。

黒柳徹子さんといえばたまねぎ頭がトレードマークですが、その頭の中にはいつも、子どもたちにあげられるようにと、キャンディーが入っているそうです。

このコミュニケーションをとられたら、子どももメロメロになりますよね♪

 

まだまだ伝説はたくさんあるのですが、次はキャンディーが入っていると言われている

玉ねぎ頭について書いていきたいと思います!

 

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黒柳徹子の髪型(たまねぎ頭)はいつから?

では、黒柳徹子さんの髪型(たまねぎ頭)はいつからなのでしょうか?

それは黒柳徹子さんが38歳の時、ニューヨークで演技を学ぶために、留学していた頃のようです。

その時に有名ヘアスタイリストの須賀勇介さんという方が、色々と考えてくれて「和服でも洋服でも合う髪型」として、たまねぎ頭を創りだしてくれたそうです。今からおよそ47年前のことですね。

そしてその後、「徹子の部屋」や「ザベストテン」の司会者を務め、「たまねぎ頭」という言い方も、ザ・ベストテンの司会者の久米宏さんがつけたようで、そこから定着していったようですね。

 

そんなたまねぎ頭をなぜ、黒柳徹子さんは続けるのでしょうか。

それは、

  • 髪型を変えると視聴者の関心が、そこにいってしまい、ゲストに関心が向かないから。
  • 司会者は後ろを向く事もあるので、大きな頭だと、うなずいたりしていることが、わかりやすいから。

 

と、ゲストや視聴者への配慮だそうです。

視野が広くて、色々なことを考えている方だなと改めて感服いたしました。

 

黒柳徹子のインスタグラムよりおしゃれな写真の数々をご紹介!

80代でインスタグラムをやっている黒柳徹子さん。そこには、若い頃の美しくセンスあふれる写真から、現在のおしゃれな写真まで、本当に彼女の魅力がたっぷりと詰まっています!

今回は、その中から一部をご紹介させていただきますね♪

 

 
 
 
 
 
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今晩、7時から日本テレビの2時間スペシャル「1周回って知らない話」に出演します。 私の事をよく知らない、今どきの若い人達からの疑問に答える番組だけど、若い人たちが、私のことを、こんな風に考えるのか?とビックリしたり、笑ったりしました。 この写真は、NHKテレビ女優第1号になった頃の写真です。 私の、生まれたところから、トットちゃん、学生時代、NHK放送劇団に入社、NYに留学、ユニセフ親善大使の活動などが紹介されます。 以前に、私のインスタグラムに載せた、変顔の動画は、この番組に出演していた若いタレントの方々に教えていただいたもの。そして、インスタグラムの会社を訪問して、COOのマーニーさんと英語で会話を楽しくしているのだけど、私の英会話は文法とかメチャクチャだから気にしないで見てね💕 黒柳徹子の知らない話は、7時からの前半と番組終了前の後半に分かれるみたいだから、後半も、是非、見てください💕

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さらっと書いてますが、NHKテレビ女優代1号ってかなりすごいですね!(笑)

とても笑顔がキュートで清楚な感じが素敵です!

 

 

 

 

40代でこの衣装を違和感なく着こなしているところがカッコイイですね!

 

 

 
 
 
 
 
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この写真は、私がニューヨークに、住んでた38歳の時のもの💕 この頃は、こういうファッションが流行ってたんだけど、今、見るとかなりの露出ね! ニューヨークに行くのを決めたのは、30代半ばくらい。 私は、実家で暮らして、実家から仕事場に通っていた。それまで、家事を、一切したことがなかった。 「私、このままの状態で、芸能界の仕事をし続けたら、何んにも、知らない大人になっちゃうなぁ!」と考えてた。 日本でも、文学座で2年、演劇の勉強はしてました。 舞台の仕事を、たくさんするようになったら、「やっぱり、本場、アメリカのブロードウェイで、演劇の勉強をしたい!」と思った。 2〜3年かけて、仕事もコマーシャルも全部やめて、ニューヨークに渡った。 一人暮らしの、何もかもが、始めての経験で、毎日が楽しかった💕 この写真は、演劇学校の同級生に、自分のアパートでランチをご馳走して、お皿を洗ってるところです。

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この時代に、30代半ばで芸能界の仕事を辞めてニューヨークに渡るとは、すごい決断力だったと思います!やりたいことに向かって進むパワー、本当に素敵ですね!

 

 

 
 
 
 
 
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これ、私。 30代半ばに、一瞬やってみた髪型。 ある時、NHKから出て、近くの通りを渡ろうと、1歩前に出た瞬間、 強い風が吹いて、私の髪の毛が顔全体にかぶさり、何も見えなくなった。それと同時に、いきなり左折してきた車が、猛スピードで私の目の前を走って行った! 私が、後ちょっと前に出たら、大惨事になってたと思う。 この髪型は、個性的に見えたけど、それ以来、危ないと思ってやめてしまったのだ。 ロングのセンター分けの写真は、これ1枚だけ。

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ロングヘアーもよくお似合いで美しいです!

 
 
 
 
 
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昨日、ニューヨークの写真に、たくさんの反響に驚きました。ありがとう💕 私も、あの写真は、大好き! ニューヨーク時代の写真で、もう1枚、私が、好きな写真があります。 NY5番街で、振袖姿で立ってる写真💕 これは、イースターパレードに参加した時のものです。 パレードに参加してたニューヨークの人たちみんなが、一緒に写真を撮りたいって、大変なことになったの。 翌日のニューヨークの新聞に、無名の私が、大きく掲載されてました(笑)。 この着物は、母が、東京のどこかの古着屋さんで見つけて、ニューヨークに旅立つ時に、私に、プレゼントしてくれた、結婚式用の振袖です。 私は、ニューヨークの大きなパーティにお呼ばれした時には、この一張羅で必ず出かけました。 「海外のパーティーには、絶対に着物!」が、いいです。 パーティー会場のみんなが、「綺麗ね!」って褒めてくれたり、話しかけてくれたり、お友達もたくさんできました。 アンディーウォホールさんや、イサム・ノグチさん、最も尊敬されている女優のリリアンギッシュさん(最後の映画は『8月の鯨』)などなど、たぶん着物のお陰でたくさんの方とお知り合いになりました。 そして、チャップリンがニューヨークに戻ってきた試写会の時も、この着物で行きました。 そのおかげで、特別に、私だけ、チャップリンさんと、お話ができました。 この話は長いから、また、今度ね。 今日は、明日からの「ステキ展」の準備をやっています。 ニューヨーク時代の写真のグッズも作ってもらっています。 カワイイくできています💕

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ニューヨークの真ん中で振袖を着て颯爽と!メチャメチャかっこいいですね!そして、チャップリンさんとお話ししたとか、すごすぎます!これも伝説の一つですね!

 
 
 
 
 
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今日は、お芝居、休演日です。 お家で、ゆっくり過ごしてます。 前に、お見せすると言ってた、ニューヨークの街頭で綿あめを食べている写真です。 仕事を、何もかも休んで、一年間、呑気に暮らしたいと行った、ニューヨーク! この写真は、そんな私の気持ちを、よく表している。 私が、初めて、綿あめを見たのは、小学生のとき。 夏休みに、母達と出かけて行った、北海道だった。 祖父が、医者をやっていた、滝川というところ。 近くの神社で、賑やかな音楽がなってる、夏祭り。 私は興奮して、その辺を、走りまわっていた。 その時、初めてフワフワの綿あめを、見たのだった💕 「あっ!」どんどん細い棒に巻きついていく、まっ白な綿あめ。 私は、はじめは、食べられるものと、思わずに、ただ、雲のようなものを、見物するものかと思った。 ところが、男の子たちが、口にくわえて、どんどん食べているので、食べられるものだと知ったのだ。 私は、一緒について来てくれた、祖父の病院の看護婦さんに「一つ買って欲しいの」と頼んだ。 気の良さそうな看護婦さんが「はい。はい」と言って、直ぐに買ってくれた。 私は、雲のついた棒を、右手に持って走りはじめた。 早く病院に帰って、母や弟に見せてあげようと思ったのだ 。 私は、ただひたすら走った。 大きな坂があったけど、かまわずに走った。 右手を高く上げて! そして、家に帰って、見せようと思ったら、なんと、私は、棒だけを持っていた! 綿あめは、走っている途中で、千切れて、飛んでしまったのだ。 私は、ただ、棒を見て、驚いて、泣くことも出来なかった。 一口も、食べなかったから、味もわからなかった。 私は、綿あめが、雲のように、私の走っている後ろに、飛んでいった光景を想像した。 私の生まれて初めての大冒険の綿あめは、惨めな棒の思い出しか残らなかったのだ。

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この頃のたまねぎ頭もキュートです!ニットも可愛い!

 
 
 
 
 
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軽井沢で、早い夏休み💕 元気いっぱい!

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ここからは、最近の黒柳徹子さん。昔からおしゃれですが、80代でこの髪型と衣装が似合う方はそうそういないのではないでしょうか。とってもチャーミングですね! 

 
 
 
 
 
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今日のお昼のドラマ『トットちゃん!』は、私の母が、ベストセラー作家になったお話でしたね。 私は、母が「チョッちゃんが行くわよ」を出版するまで、母が、何かものを書ける人だとは思っていませんでした。 でも、考えてみると、母は、ものすごく記憶力が良かった。 何でも、昔のことを、細かく良く覚えていました。 「チョッちゃんが行くわよ」という本は、母の家族のことを書いたものです。 母の父、つまり私の祖父が、無医村の医者になるのが目的で、医者になり、北海道の滝川というところに病院を建て、貧しい人には、ただで診療したり、また遠い牧場の地域で病気になった人の所には、雪車(ソリ)に乗って、診察に行ってました。 母が書いた本が、話題になり、記者から「ベストセラーになった喜びは?」とインタビューされた時、母は「お金(印税)が、たくさん入ってくることです」と記者に答えたのです。かなり、笑える答え💕 母が、面白い人だなぁと思うのは、その『チョッちゃんが行くわよ』を、NHKの方が、連続テレビ小説にしたいと、母に相談しに来た時です。 母は、NHKの方に「分かりました。では、私は、『ゴッドファーザー』を作ったフランシス・コッポラさんとお友達なので、監督はコッポラさんにお願いしてくださいね。それと、音楽は、コッポラさんのお父様が作曲家ですから、お父様にお願いしていただけますか?」と言ったそうです。 NHKの方が、ものすごく驚いて「申し訳ありません。それは、絶対にできません」と、大慌てしたそうです。 母は、「あら、そうなの。それはがっかりだわね」と・・・・・。 そして、1987年に『チョッちゃん』というタイトルで、連続テレビ小説は始まりました。 今、調べてみたら、平均視聴率38%、最高視聴率46.7%!たくさん方が、ご覧くださったのですね。 母は、その後も魔法みたいに、何冊も何冊も、本を出しました。 そして、頼まれれば、全国どこにでも公演に行き、アメリカやイギリスなど、海外でも活動しました。 父が亡くなるまでは、まったくの主婦だった母が、70歳頃から、新たなにスタートした人生でした。 私は、母の仕事の手助けは、しませんでした。 出版社の方が、私に「母の本の推薦文を、書いてほしい」と頼まれたときも、「ママは、私の手助けを必要としていない」と分かっていたので、お断りしました。 母は、本当に面白い人でした。 そして、ドラマ『トットちゃん』で、母の役を演じてくださっている松下奈緒さんのように、とっても優しくて、綺麗な人でした💕

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お母様も上品なお顔立ちの綺麗な方ですね。黒柳徹子さんの笑顔も素敵です!

パンダメイク、とっても可愛いです!黒柳徹子さんの表情もキュート! 

 
 
 
 
 
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今日は、「徹子の部屋」本番4本。 これから、ハロウィン パーティ💕行くぞ!!

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ハロウィンメイクを楽しむ、その明るく若々しいパワフルさが本当に魅力的です!

シンプルなボブスタイルもお似合いです! 

ターバンと、合わせた衣装がとてもお似合いで素敵です!

まとめ

今回は、いろいろと黒柳徹子さんのことを書いてみましたが、知れば知るほど魅力的で、素敵な方ですね♪

85歳というご年齢を感じさせず、女優に司会、そしてユニセフという慈善活動に、精力的な黒柳徹子さんから目が離せません。

見習いたい生き方のお一人だなと感じました。

今後の黒柳徹子さんの活躍にさらに注目です。

 

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