中山由起枝(射撃)が可愛い!シングルマザーで子供もいる?主な経歴を調査!

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https://www.sankei.com/sports/news/191109/spo1911090052-n1.html

クレー射撃の「トラップ」という種目は、選手の15m先の地面からランダムに飛び出すクレー(皿)を狙って射撃し、得点を競うスポーツです。

この記事では、2020年東京オリンピックで5度目のオリンピック出場となる、ママさんアスリートの中山由紀枝選手を紹介します。

 

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中山由起枝(射撃)の出身など主なプロフィール

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日本オリンピック委員会HP

中山由紀枝選手のプロフィールはこちらです。

  • 生年月日:1979年3月7日生まれ(40歳)
  • 身長:161cm
  • 体重:55kg
  • 出身地:茨城県結城市出身
  • 出身校:市立結城中学→埼玉栄高校
  • 所属:日立建機クレー射撃部所属

中山由紀枝選手、実は元々ソフトボール選手だったのです。

高校では寮に入って、3年間ソフトボール漬けの生活を送り、3年夏のインターハイで準優勝、そしてMVPを貰った程の腕前でした。

インターハイ後に埼玉選抜チームで国体に出場した際、会場で日立建機から「クレー射撃でオリンピックを目指してみないか」と声をかけられたのが、クレー射撃を始めたきっかけだそうです。

オリンピック選手なのに、射撃を始めたのが高校3年生の後半とは驚きですね。

ソフトボールとクレー射撃は、全く違う競技ですが、動体視力と瞬間視の高さが必要とされる点が共通していて、またキャッチャーをしていた中山選手は、下半身がしっかりしていて軸がぶれないという点でも、クレー射撃に向いていると思われて、日立建機にスカウトされたそうです。

それまで、大学か実業団でソフトボールを続けることを考えていた中山選手は
熱心なアプローチに大変迷ったそうですが、実は祖父が狩猟をしていて
小さいころから銃を見ていたことや、ずっと団体競技をやっていたけれど
個人競技も面白そうだと思ったこと、またソフトボール部の顧問の先生にも
新しい道もいいのではないかと背中を押されたこと、また射撃でイタリア留学ができるという話があり、世界を見てみたいと思ったことで、最終的に射撃に競技転向を決心したそうです。

中山由起枝(射撃)の過去成績は?

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https://www.sankei.com/sports/news/191109/spo1911090052-n1.html

中山選手の過去の成績は以下の通りです。

  • 1999年:全日本選手権大会4位
  • 1999年:ワールドカップ大会個人5位,団体2位
  • 1999年:ワールドカップ大会個人3位,団体2位
  • 1999年:世界クレー射撃選手権フィンランド大会15位
  • 2000年:シドニー五輪 ダブルトラップ13位
  • 2008年:北京五輪クレー射撃女子トラップ4位入賞
  • 2010年:広州アジア大会女子クレー・トラップ個人 日本人初の金メダル
  • 2012年:ロンドン五輪 予選敗退
  • 2013年:世界クレー射撃選手権リマ大会女子クレー・トラップ個人 銀メダル
  • 2015年:世界クレー射撃選手権カバラ大会女子クレー・トラップ個人 金メダル
  • 2016年:リオデジャネイロ五輪 予選敗退

中山選手は、日立建機に入社して3ヶ月間は、イタリア語の勉強と運転免許を取得し
その後1年半クレー射撃の盛んなイタリアで修業をしたそうです。

日本では銃所得許可の取得は、特別申請がある場合で18歳以上、基本的には20歳以上でないとできないため、申請が下りるまでの間の留学だったそうです。

中山選手が日本に帰国してから、2000年のシドニーオリンピック出場権を獲得するまでには、競技を始めてからたった1年と11ヶ月だったそうです。

驚異的な記録でもあり、ソフトボール選手だった高校生の中山選手を見出した日立建機も素晴らしいですね。

 

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中山由起枝は結婚して子供もいる?ママさんアスリート!

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NAVERまとめ

中山選手、実はシングルマザーで18歳の娘さんがいます。

娘の芽生(めい)さんは、小さいころは母親が遠征などで何日も家にいないときは寂しかったけれど、成長するにつれて、母親を誇りに思うようになったそうです。

中山選手は、芽生さんを家に残して合宿や遠征に行かなければならないときは、中途半端な気持ちでは行けない、結果を残さなければと思っていたそうです。

その後も母娘での葛藤があり、一度は芽生さんに「ロンドンオリンピックが終わったらやめてね」と言われたこともあるそうです。

 

その後、高校生になった芽生さんは、当時は寂しくて言ってしまったけれど、本心ではなかった、今は続けて欲しいと思っていると言っています。

2013年、中山選手がペルー遠征中に、当時小学6年生だった娘さんが肘を骨折してしまったことがあり、手術の時に痛みを共有できなかったことを今でも可哀そうに思っているそうです。ただ、そんな状況も乗り越えることができたのは、中山選手の両親のサポートがあってこそだと言っています。

 

中山選手は、出産後に競技復帰するときは、ほかにママでアスリートの選手がいなかったので、自己流で競技と子育てを両立してきたけれど、今は自分が情報発信をしたり、女性が競技しやすい環境を作るために役に立ちたいそうです。

 

芽生さんは中学時代、中山選手と同じようにソフトボールに取り組んでいたけれど、高校3年生になってから、「射撃をやってみたい」と言うようになったそうです。

中山選手にとって、オリンピックは4大会連続5回目の出場になりますが、東京オリンピックを集大成として、メダルを狙うと宣言しています。

まとめ

シングルマザー、オリンピック5回目の出場。

これらを両立することは並大抵のことではありませんが、本人の努力はもちろん、周りのサポートがあってこその結果ですね。

中山選手の強い気持ちと行動に、周囲もずっと惹かれ応援を続けてきたのだろうなと思います。

東京オリンピックでは、ぜひ活躍してほしいですね。

 

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